福治郎物語
秋田県南、田んぼがどこまでも続く小さな村で、私は納豆屋の長男として育ちました。
子どもの頃のあだ名は「なっとうや」。それが嫌で、納豆から逃げるように東京へ出て、不動産会社で働きました。
夢を売る仕事にやりがいを感じていたのに、バブル崩壊で世界が一変。
ふとテレビで「納豆が身体にいい」と知ったとき、胸の奥がざわつきました。
「自分は、納豆のおかげで育ったんじゃないか」――
その気づきが、家業に戻る決心の火種でした。
子どもの頃のあだ名は「なっとうや」。それが嫌で、納豆から逃げるように東京へ出て、不動産会社で働きました。
夢を売る仕事にやりがいを感じていたのに、バブル崩壊で世界が一変。
ふとテレビで「納豆が身体にいい」と知ったとき、胸の奥がざわつきました。
「自分は、納豆のおかげで育ったんじゃないか」――
その気づきが、家業に戻る決心の火種でした。
家に戻り、配達して、作って、売って。
小さな工場でも、毎日は回っていました。
けれど、スーパーの安売り競争が激しくなるにつれ、
どこかで「このままじゃ続かない」という予感もあった。
なのに私は、忙しさにかまけて
“見ないふり”をしていたのかもしれません。
小さな工場でも、毎日は回っていました。
けれど、スーパーの安売り競争が激しくなるにつれ、
どこかで「このままじゃ続かない」という予感もあった。
なのに私は、忙しさにかまけて
“見ないふり”をしていたのかもしれません。
ある朝、配達先のスーパーで言われました。
「古屋さん、もうこの値段でうちは取れない」
長年の付き合いがあるからこそ、余計に重い言葉でした。
値下げできなければ、仕入れは止まる。
陳列スペースも狭くなる。
帰り道、夏の日差しが目に刺さって、妙に現実だけがくっきりしていました。
「古屋さん、もうこの値段でうちは取れない」
長年の付き合いがあるからこそ、余計に重い言葉でした。
値下げできなければ、仕入れは止まる。
陳列スペースも狭くなる。
帰り道、夏の日差しが目に刺さって、妙に現実だけがくっきりしていました。
「倒産」の二文字が頭をよぎりました。
設備も人手もない。
大手は生産量が桁違いで、スピードも違う。
こちらは納豆が出来上がるまでに、最低でも時間がかかる。
勝てる見込みなんて、どこにもない。
その日の午後、私は家の居間で倒れ込むように横になり、
手足が鉛のように重くて、動けなくなりました。
日曜日には、保育園に入ったばかりの娘を
海に連れて行く約束があるのに、心は沈んだまま。
台所で笑う妻と娘の声が、逆に胸に刺さりました。
設備も人手もない。
大手は生産量が桁違いで、スピードも違う。
こちらは納豆が出来上がるまでに、最低でも時間がかかる。
勝てる見込みなんて、どこにもない。
その日の午後、私は家の居間で倒れ込むように横になり、
手足が鉛のように重くて、動けなくなりました。
日曜日には、保育園に入ったばかりの娘を
海に連れて行く約束があるのに、心は沈んだまま。
台所で笑う妻と娘の声が、逆に胸に刺さりました。
値下げしてでも取引を守るか。
それとも、取引を失ってでも“別の道”を作るか。
けれど、値下げは赤字の始まりで、赤字は終わりの始まりです。
何より、納豆作りに人生をかけてきた父に
「もう続けられないかもしれない」と伝えることが、
怖くて怖くて仕方なかった。
父は一日中、民謡を口ずさむような職人気質で、
納豆に誇りを持っている。
私は、父の人生まで否定してしまう気がして、言えませんでした。
それとも、取引を失ってでも“別の道”を作るか。
けれど、値下げは赤字の始まりで、赤字は終わりの始まりです。
何より、納豆作りに人生をかけてきた父に
「もう続けられないかもしれない」と伝えることが、
怖くて怖くて仕方なかった。
父は一日中、民謡を口ずさむような職人気質で、
納豆に誇りを持っている。
私は、父の人生まで否定してしまう気がして、言えませんでした。
ところが、陳列スペースが半分になった棚を見たとき、不思議と怒りよりも力が湧いてきたんです。
「小が大に勝つ方法はないか」
その答えは、ずっとそばにあった。私はそれまで父の“こだわり”を、商売の邪魔だと思っていた。でも、気づいてしまった。そのこだわりこそが、うちの長所だと。
そして父に言いました。
「親父、最高の納豆を作ってみてくれないか?」
「小が大に勝つ方法はないか」
その答えは、ずっとそばにあった。私はそれまで父の“こだわり”を、商売の邪魔だと思っていた。でも、気づいてしまった。そのこだわりこそが、うちの長所だと。
そして父に言いました。
「親父、最高の納豆を作ってみてくれないか?」
決めたはいい。でも現実は甘くない。
国産の上質な豆をさらに選別し、蒸し、菌を合わせ、経木に盛り込み、発酵させる。
豆の種類も大きさも違うから、蒸し加減も酸素量も温度も変わる。
試作は“繰り返し”の連続でした。
通常の製造をしながら、来る日も来る日も試作。
私は疲れがピークでも、父は妥協を許さず、何かに取りつかれたように続けました。
特に「秘伝」という豆で壁にぶつかったとき、
時間だけが過ぎていく焦りは忘れられません。
国産の上質な豆をさらに選別し、蒸し、菌を合わせ、経木に盛り込み、発酵させる。
豆の種類も大きさも違うから、蒸し加減も酸素量も温度も変わる。
試作は“繰り返し”の連続でした。
通常の製造をしながら、来る日も来る日も試作。
私は疲れがピークでも、父は妥協を許さず、何かに取りつかれたように続けました。
特に「秘伝」という豆で壁にぶつかったとき、
時間だけが過ぎていく焦りは忘れられません。
三ヶ月以上の試作の末、低温発酵でじっくり時間をかけた“究極の納豆”ができました。
祖父・福治郎の名を借りて、「二代目福治郎納豆」と名付けた。価格は国内最高級。正直、売れるかどうか分からない。
父に「本当にこんな高い納豆買う人がいるのか?」と聞かれ、
私は「分からない」と答えました。
それでも、東京の地方新聞の夕刊に小さな広告を出した。
すると、夕方から電話とFAXが鳴り止まない。注文が殺到したんです。
次に秋田の新聞でも同じことが起きた。
“思いと味”が、お客様に伝わった瞬間でした。
祖父・福治郎の名を借りて、「二代目福治郎納豆」と名付けた。価格は国内最高級。正直、売れるかどうか分からない。
父に「本当にこんな高い納豆買う人がいるのか?」と聞かれ、
私は「分からない」と答えました。
それでも、東京の地方新聞の夕刊に小さな広告を出した。
すると、夕方から電話とFAXが鳴り止まない。注文が殺到したんです。
次に秋田の新聞でも同じことが起きた。
“思いと味”が、お客様に伝わった瞬間でした。
注文対応も梱包も、家族はオロオロしながら必死でした。
でも、お客様の声ははっきりしていました。
「直接買える店を作ってほしい」
そして平成16年10月、秋田市に高級納豆専門店「二代目福治郎」を開店。
開店当日から行列ができ、取材も増え、ネットでも話題になっていく。
気づけば、納豆が“田舎の商売”ではなく、
誇れる仕事として私の中で立ち上がっていました。
でも、お客様の声ははっきりしていました。
「直接買える店を作ってほしい」
そして平成16年10月、秋田市に高級納豆専門店「二代目福治郎」を開店。
開店当日から行列ができ、取材も増え、ネットでも話題になっていく。
気づけば、納豆が“田舎の商売”ではなく、
誇れる仕事として私の中で立ち上がっていました。
ある日、家の前で昔の同級生に声をかけられました。
「おい!なっとうや!」
それが、なぜか嬉しかった。
あの頃は嫌で仕方なかった呼び名が、今は自分の背中を押してくれる。私は思いました。
「おい!なっとうや!」
それが、なぜか嬉しかった。
あの頃は嫌で仕方なかった呼び名が、今は自分の背中を押してくれる。私は思いました。




































